ロシア奏法との出会い

高槻市南平台 石井ピアノ教室

石井 倫子です。

私のピアノ人生で転機となったロシア奏法と出会ったことを思い出しながら書いてみます。

自分のピアノが嫌だった時期

音大を卒業後、演奏会や伴奏などと舞台で演奏する機会がたくさんあり、ピアノも教え始めてレッスンに勉強にと充実していた時期でした。

その一方で、思うような音が出せていないこと、何を弾いても同じ音に聴こえる事に悩んでいました。

曲や音のイメージも考えていたつもりなのに何がダメなのかが分からず、自分のピアノが嫌でした。

そんな時、静岡で行われたモスクワ音楽院の先生のセミナーに参加したことをきっかけに、

音楽院のサマースクールに参加することになりました。25年前のことです。

Aさんとの出会い

私は伊丹から飛行機で成田へ、モスクワ行きの飛行機にはギリギリの時間でした。

私と同じ頃、搭乗口に現れたAさんとたまたま座席がとなりになり、自己紹介から始まっていろんなことを話しました。

後に私にロシア奏法を教えてくれることになるAさんは桐朋を卒業されたばかりで、

モスクワ音楽院に留学するために、サマースクールに参加されること、

大学在学中からロシア奏法を勉強し始めて1からやり直し、今は色々なことが解決し、

演奏が充実して弾くのが楽しいと話されました。

ロシア奏法?1からやり直す?

と頭の中でクエスチョンマークがいっぱいになりました。

そしてAさんはいったいどんな演奏をするのか、興味を持ちました。

今でこそ、ロシア奏法、ロシアピアニズムという言葉は本やネットなどで知られるようになりましたが、

25年前の当時は聞いたこともなかったのです。

Aさんの手

空港からバスに揺られ、モスクワ音楽院の学生寮に着きました。ここで3週間滞在し、音楽院に通ってレッスンを受けます。

部屋は2人部屋で、ここでもAさんと一緒になりました。飛行機の中、滞在中とAさんに身近に接することができたのは本当に幸運でした。

部屋はコンパクトな造りで小さめのベッドが二台と本棚と机、ロッカーにアップライトピアノも備え付けてありました。

荷物を片付けてひと息つくと、Aさんはピアノに向かい弾き始めましたが、

がっかりすることにそのピアノは全く調律されておらず、1つとしてまともな音は鳴らなかったのです。

何の曲を弾いているのかさえさっぱり分からないピアノでしたが、弾いているAさんの手や指の使い方は少し変わっていて、

そのタッチからこの人のピアノがすごいということはすぐに分かりました。私はますますロシア奏法に興味を持ちました。

忘れられないバッハ

次の日からは音楽院でのサマースクールが始まりました。週に2回通訳付きでレッスンが受けられ、見学も自由。

練習時間も十分あり、夜はコンサートが開かれます。

美術館やチャイコフスキーの生家を訪れる遠足もあり充実した3週間でした。

サマースクールが始まって何日目かにAさんのレッスンがあり私は早速、見学に行きました。

Aさんは静かにバッハの平均率を弾き始めました。深く響く音、ひとつひとつの声部が違った音色で歌い、

別々の次元から聴こえてくるような素晴らしい演奏で、身動きもできず聴き入りました。

今まで聴いたことのない素晴らしいバッハでした。

夜に部屋に戻り、Aさんに今日のバッハが素晴らしかったこと、どうやったらあんな風に弾けるの?と聞くと、

少しずつロシア奏法について教えてくれました。

最初に手の支えを作り、支点から打鍵すること。それによって雑音のない純度の高い音が出せるようになること、と

弾いて教えてくれました。ポンコツのピアノだったため想像しながらですが、そんな弾き方は初めて聞くもの

でした。

音楽院でのレッスン

一方で私のレッスンも始まりました。サマースクールでは1週間に2回のレッスンがあり、

一週ごとに違う先生のレッスンを受けることができました。

1週目のレッスンが終わり、2週目のS先生のレッスンが始まったところで私は壁にぶつかってしまいます。

全ての音が違う

シューマンの幻想曲の1楽章を弾きはじめたところで、この音が違う、次の音はこう….というように

ほとんど全ての音や音と音のつながりについて、何度もニエット(noの意味)と言われてしまいました。

日本の先生や、これまでレッスンを受けた海外の先生にもそんなことは言われたことがなく、

レッスンが終わったときには泣きたい気持ちでいっぱいでした。

ひとりで練習していてもどうしていいかわからず途方に暮れてしまいました。

音の出し方が違うと言われても、自分には今まで弾いてきたようにしか弾けなくて

すっかり落ち込んでしまったのです。

寮に帰ってAさんに今日のレッスンのことを話し、どう弾けばいいかわからないと言うと

「先生の言われたことはこういうことだと思う」と教えてくれました。

Aさんが教えてくれて、私はやっと自分の音が歌っていなかったことに気づいたのです。

私もやってみようと試みたものの、ほんの1小節を弾くのにもとても神経を使い、ピアノを弾くことが今までの何倍も難しく

感じました。

いきなり大きな曲で勉強するのは無理。もっと簡単で短い曲から始めないと、とAさんに言われた私は

「日本に帰ったらロシア奏法を教えて欲しい」と頼みました。

自分のピアノを変えるにはもうこれしかない、という気持でした。

正直、残りのサマースクールはどうでもよく早く日本に帰ってロシア奏法を学びたいという気持ちにすらなっていまし

た。

留学を控え忙しいAさんが親切に教えてくれて、日本でのレッスンを快諾してくれたことは感謝してもしきれません。

そしてS先生のレッスンですべての音が違うと指摘されたことが、ピアノをやり直すきっかけになったことも

大切な出来事でした。