ロシア奏法のレッスン

高槻市南平台 石井ピアノ教室

石井倫子です。

前の記事ではロシア奏法と出会ったことを書きました。

今回は、ロシア奏法を学び始めた時のことを思い出しながら書いてみます。

ロシア奏法のレッスン

モスクワで出会ったAさんが、ロシア奏法のレッスンをしてくれることになりました。

素晴らしいピアノを弾くAさんのことやロシア奏法のことを友人に話すと「私もレッスンを受けたい」と、

4人が集まり、レッスンを受けることになりました。

そしてAさんの好意で新潟から大阪まで、月1回レッスンに来てもらえることになりました。

耳を使って音を聴くことから始めるため、初めはグループで聴き合いながらレッスンした方が良いということで一緒に勉強する仲間がいたことは私にとって良いスタートでした。

レッスンはロシアの子どもが初めてピアノを習う時に使う教本で、片手だけの8小節の短い曲から始めました。

この教本の他、チャイコフスキーの小品やブルグミュラーやバッハの小品も見てもらっていました。

まず初めに習ったことは、手の支えを作り雑音のない響く音を出すこと、そして音の向きを考え、全体が1つに感じられるようフレーズを長くしていくこと。

フレーズを長くといったところで、たった8小節…それなのに手のフォームを保つのが難しく、響きや音の質について今までの何倍も神経を使いました。

初めてロシア奏法で弾いた8小節の小さな曲でしたが、自分の音が変わったことを実感できたのは大きな喜びでした。

Aさんのレッスンはとても細かく丁寧で、ひとつの音も聞き逃さず指摘されました。

ロシア奏法で初めて弾いたシューベルト

ロシア奏法のレッスンが始まって少し経ったころ、演奏の機会がありシューベルトの即興

曲を弾くことになりました。

大阪のベルギーフランドルセンターで音楽仲間との勉強会のようなコンサートです。

今は使えないようですが、当時は博物館にスタインウエイのピアノが置いてあり、

コンサートに使うことができたのです。

誰かが「演奏した人に感想を書いて渡そう」と言い出して、私もみんなに書き、感想をもらいました。

この時にもらったうちの一枚に「美しいレガートの秘密を教えて下さい」と書かれていたことがとても嬉しくて、その後のピアノを弾く力になっています。

B先生

一年ほどレッスンに来てくれたAさんは留学のためモスクワへ行かれました。

Aさんはレッスンを続けられるよう先輩のB先生を紹介してくれました。

グループレッスンから始まったロシア奏法のレッスンでしたがこの頃は私だけになり、

名古屋の先生のお宅に通うことになりました。

当時は朝も仕事をしていて終わってすぐお昼の新幹線に乗り、名古屋へ。

終わったらまたすぐ帰って夕方のレッスン….とよくやってたなあと思います。若さゆえですね。

B先生にはロシアの教本、バッハとスクリャービン、ラフマニノフといったロシアの作品、ショパン、ブラームスなどを教わっていました。

発表会にも出させて頂いたり、AさんやB先生の先生であるC先生のレッスンを見学させて頂いたりもしました。

C先生はロシアで学ばれた方で、帰国後はAさんやB先生のような優れたピアニストを何人も育てておられます。

C先生門下の弾き合い会があるから聴きに来ませんか?と誘って頂き、東京まで聴きに行ったことがありましたが、出演されていた方々の演奏が本当に素晴らしくて圧倒されました。

B先生に教わっていたのは2年ほどだったと思いますがその間に私は結婚して神奈川に住むことになり、初めのうちは神奈川から名古屋へ通っていたのですが、妊娠して長距離の移動が心配になり、また新しい先生に教わることになりました。

D先生

D先生のところへは当時住んでいた藤沢市から1時間ほどで行けて、移動がずいぶん楽になりました。

D先生のレッスンでは「ここはどんなことをイメージしますか?」とか「この和音はどんな意味?」と

しょっちゅう問いかけがあり、先生の音楽をそのまま真似るということはあまりなかったと思います。

そして「そのイメージならこういう音が必要」と、音の出し方や指をどう使うかということを教わる、そんなレッスンでした。

最後の方では歩くとお腹が張って辛くなり、D先生のレッスンは一旦お休みになりました。

息子のレッスン

息子が生まれた頃、主人は激務、周りに知り合いもなく、子どもとの遊び方も分からないのでよく息子を膝に座らせてピアノを弾きながら歌って聞かせていました。

気持ちよさそうに体をゆらして聴いているうちに、うとうとしてそのままお昼寝

こんなことを続けているうち、息子が歌ったり体を動かして楽しんでいるのを見て、

ピアノを教えてみようと思いました。

初めは私が教えていて、1年生になったときにD先生にお願いして見て頂くことになりました。

この頃はピアノの練習ABCとブルグミュラー、わたしが教わっていたロシアの子どもの教本、バッハの小品を見てもらっていました。バッハは常に何か弾いていたと思います。先生の教え方は小さいうちに難しい曲を弾かせることはなく、体が大きくなった5年生位からは大きな曲に取り組ませていました。

レッスンはバスと電車で、3歳の娘もベビーカーに乗せて連れて行っていました。

娘が退屈して騒ぎ出すと廊下に出て遊ばせて、と見学していても中断されることが多く必ず録音して何回も聴いて覚え、一緒に練習していました。子どものレッスンでもD先生はしょっちゅうここはどんなことをイメージしてる?と問いかけられることが多く、息子が答えると、「じゃ、そういう風に弾けているかよく聴いて」と耳を使うことをよく言われていました。

私が教わったように、手や指の使い方について細かく言われることはあまりなかったと思います。

ロシア奏法の子どもへの指導を息子を通して見ることができたのは貴重な経験で、その後、私がピアノを教える上でとても役立っています。

この頃の息子の演奏  チャイコフスキー  /バーバヤガー

 

息子は5年間、D先生にお世話になりましたが、我が家は兵庫県に引っ越すことになってしまい、レッスンを続けられなくなったのは本当に残念でした。

ロシア奏法のメリット

これまでロシア奏法を学んできて良かったことは、

・タッチの種類が多くなり、音色が増えた

・強弱、特に弱音を弾くとき、指を沈める速度をコントロールできるので弱音を出すのが怖くなくなった。

・レガート奏法がうまくいくようになった

・弾くのが楽になった

・フレーズを長くとらえることができるようになった

・音を立体的に捉えられる

と、私にとってはいいことづくめです。

デメリットは全くありませんが、鍵盤を沈める時間を長く使えるようになったため

ペダルを使った時に音が濁るということが最初の頃、よくありました。

ペダルの踏みかえ方も変えないと、と言われてからは意識して踏んでいます。

教える上でプラスになったこと

ロシア奏法を学び始めたときに教えていた生徒たちが、コンクールなどで良い評価をもらうようになりました。

特に、音楽的でない、歌っていないと言われることの多かった子が、「よく歌えています」

「とてもよく音楽を表現しています」という批評をもらえるようになったのです。

この子たちも私も音楽を感じて弾いていなかったのではなくて、音楽を表現するための

テクニックを知らなかったのです。

特別に音楽的な子ではなくても、音楽の捉え方やイメージを持って弾くように導けば、

必ずそのように弾けるようになる、と大きな発見でした。

 

3人の先生方に恵まれ、ロシア奏法を学ぶことができたことはかけがえのない経験でした。

私が先生方に学んだことを生徒たちに伝え、音楽を表現して弾ける人を育てていきたいと思います。